活動報告・お知らせ

第1704回 日本軍性奴隷制問題解決のための定期水曜デモ (パレスチナ平和連帯(パレ連帯))

第1704回 日本軍性奴隷制問題解決のための定期水曜デモ

日時:2025年6月11日(水)正午12時

場所:在韓日本大使館前「平和路」

主催:日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯

主管:パレスチナ平和連帯(パレ連帯)

∎ プログラム ∎

司会:ヌール(パレスチナ平和連帯活動家)

・オープニング曲「岩のように」

・主催団体挨拶:ヌル(パレスチナ平和連帯・活動家)

・週間報告:イ・ナヨン(正義記憶連帯・理事長)

・連帯発言 1

‐ユン(パレスチナ平和連帯・活動家)

‐Arash Azizzada(より良い未来のためのアフガニスタン)

*通訳:キム・ハンナ(解放を夢見るシネクラブ)

・合唱「Women’s Song For Gaza」:パレスチナ平和連帯の活動家

・詩の朗読:ジャア(パレスチナ平和連帯・活動家)

‐パレスチナの詩人モハメド・エル・クルドの詩集『リフカ』より

・連帯発言2

‐キム・ウンジョン牧師(韓国キリスト教教会協議会(NCCK)女性委員会・委員長)

‐SHIMIZU Kazue(清水和恵)牧師(北海道ガイキレン(Hokkaido Gaikiren) / 日本キリスト教団(UCCJ))

・参加団体紹介:ヌル(パレスチナ平和連帯・活動家)

・声明文朗読:ミウム、ソボンドロ(パレスチナ平和連帯・活動家)


Women’s Song For Gaza- We Will Sail For Your Freedom


[1節]

We anchored up and sailed out from the shore of Spain

Our boat Zaytouna-Olive that’s our name

And olive is the symbol of a faraway place

To which we steer our course across the waves

We are 13 women here to sail with peace in our hand

Towards our sisters in this foreign land

From many different corners of this world we have come

To bring to you the freedom of our song

[サビ]

We will sail for your freedom

Our sisters in Palestine

We will never be silent

Until you are free

[2節]

We are guided by the light of the stars at night

And the power of the sea so very bright

As the world is watching us

We bring our women’s voice

With the message that we all should have our choice

Your grandmothers they planted olive trees

Upon this land where you should live in peace

Those trees of thousand years they have been dug away

May your daughters plant new seeds and watch them stay

[サビ]


∎ 主催団体紹介 ∎

パレスチナ平和連帯は、1948年以来現在まで続くイスラエルのパレスチナ植民支配とアパルトヘイト、軍事占領の問題を韓国社会に伝え、パレスチナ解放運動に連帯するフェミニスト団体です。イスラエルの体系的な抑圧に共謀する企業をボイコットしたり、投資撤回を求めたりし、国家でイスラエルに軍事・経済制裁を課し、イスラエルのパレスチナ植民支配を終わらせるよう強制するBDS運動を軸に、韓国社会とパレスチナを結ぶ となることを目指しています。

現在は、イスラエルが20ヶ月以上にわたり継続しているガザ住民の集団虐殺を終わらせるため、韓国市民社会239の団体が結集した「パレスチナと連帯する韓国市民社会緊急行動」において、重点的に活動しています。


第1704回 日本軍性奴隷制問題解決のための定期水曜デモ声明書

日本軍性奴隷制は、戦争と国家発展の名目のもと、女性を性的な資源として利用した日本帝国主義の国家的・世界的な犯罪行為だった。日本軍は組織的に女性を戦場に送り込み、戦争資源として、戦争を継続するための手段として利用し、これは軍の指揮下で体系的に運営された戦時性暴力だった。しかし、解放後、親日清算が適切に行われず、数々の国家的な混乱を経て、この犯罪行為は適切に解明されなかった。韓国の軍事政権も、この問題を解決するどころか、女性を米軍誘致のための資源として利用するという、帝国主義的な日本軍の論理を拡大し、再生産した。これまで、日本軍性奴隷制の被害者は、自らの生活を営むことも、声を上げることもできなかった。

日本が自ら犯した戦争犯罪と責任を認めさせるため、そして日本軍性奴隷制の被害者と連帯するため、韓国市民社会は1992年1月の水曜デモで声を上げた。日本軍性奴隷制の被害者は、単に個人の苦痛を訴えるためではなかった。日本は自ら犯した戦争犯罪の責任を公式に認め、国際社会の前で謝罪し、賠償することを求め、沈黙に満ちた歴史の空白を打ち破ろうとしたのだ。水曜デモは単なる過去を問う場ではなく、歴史と真実、そして人権を取り戻し守るための抵抗の連帯だった。その声は30年を超える年月を経て、一週間も欠かさず続いてきた。

日本軍性奴隷制問題に対する正義を求め始めてから33年を超える長い年月が経過した。しかし、真実を明らかにすべき者たちは時間を武器に正義を遅らせてきた。日本政府は責任を否定し、歪曲に一貫し、韓国政府は外交の利益を優先し、時に沈黙し、時に日本政府に同調し、被害者の声を後回しにしてきた。被害者の人生は歴史に還元されず、その苦痛は依然として「解決されていない過去」として残っている。このすべての不正義は、単なる無関心の結果ではなく、体制が選択した構造的な放置であり、国家的な責任の回避だった。私たちは問う。なぜこれほど長い年月が経っても、正義の時間は止まったままなのか?

私たちは、日本軍性奴隷制が植民支配体制によって、人種差別によって、性差別によって行われたことを知っている。私たちはまた、数千キロ離れた場所で、植民支配と人種差別、性差別によって別の暴力が起こっていることを知っている。それがパレスチナである。イスラエルは1948年、近代化された植民地国家建設という目標の下、土地に住む先住民を虐殺し、家と土地を強制的に没収し強制追放し、民族浄化という大惨事、ナクバを引き起こした。このナクバは現在も進行中である。パレスチナ人はガザ地区で20ヶ月以上にわたり、毎日イスラエルの占領軍に集団虐殺を受けている。西岸地区のジェニンとマサフェル・ヤタでは、武装した違法なユダヤ人入植者に虐殺されている。1948年のパレスチナ(イスラエル)を含むパレスチナの全土では家が破壊され、生活の場を失っている。占領軍の兵士から性的な虐待を受け、標的殺害をされている。

パレスチナでも正義の時間は1948年以来止まったまま。彼らは幼少期に暮らした村を記憶し、その土地の名前を子孫に伝え、過去を忘れないために今日も戦っている。特にパレスチナ人は、土地と結びついた自身の姓を通じて、追放された故郷、先祖代々暮らしてきた土地と共同体を証言している。姓は強制的に消された地図の上で「私たちがここにいた」と語る抵抗の言語である。

これは、日本軍性奴隷制の被害者が自分の名前を取り戻し、自ら語り始めた理由と重なる。被害者は烙印と沈黙を拒否し、自分の名前を明らかにすることで、消されない存在の宣言をしてきた。パレスチナ人が姓を、日本軍性奴隷制の被害者が名前を記憶することは、国家暴力に抗い、沈黙を強要された歴史に終止符を打つための行為だ。名前を記憶することは、生きていることそのものであり、正義を実現する者として尊厳を守る決意である。

私たちは10月7日以降に始まった集団虐殺に直面している。私たちは毎日、病院や学校、寺院に爆弾が落とされ、死んだ人々の名前と向き合っている。パレスチナの解放を願い、彼らを記憶する。そして、日本政府の完全な謝罪を見ることなくこの世を去った日本軍性奴隷制の被害者も記憶する。私たちは、パレスチナの解放と日本軍性奴隷制の被害者の正義が結びついていることを知っている。正義は連帯を通じて実現される。日本軍性奴隷制問題の解決を求める叫びとパレスチナに対する集団虐殺の停止要求は、植民国家の暴力が人類の歴史に決して繰り返されてはならないという一つのメッセージである。

したがって、私たちは要求する。

一、日本政府は戦争犯罪を認め、真実を明らかにせよ!

一、日本政府は日本軍性奴隷制の被害者に対し公式に謝罪し、法的賠償を支払えよ!

一、韓国政府は日本軍性奴隷制被害問題に責任を持ち、正義に基づいて解決せよ!

一、日本軍性奴隷制問題の解決とパレスチナ解放のない平和はない。

一、私たちはすべての植民支配と人種差別、性差別に反対する。

2025年6月11日

第1704回日本軍性奴隷制問題解決を求める水曜デモ参加者およびパレスチナ平和連帯一同


 

こんにちは、私の名前はユンです。このように皆様の前で話す機会をいただき、光栄に思います。


私はアメリカで生まれ、警察と国家の暴力に苦しむ移民のマッサージ労働者と活動してきました。現在は韓国で初めて1年以上にわたり生活しています。そして今日は、生まれて初めて、不足な韓国語で多くの方々の前で発言します。


私の祖父は1930年代に日本で生まれ、両親は1980年代にアメリカへ移住し、私は1992年にニュージャージーで生まれました。そして、皆さんは私が生まれた年から現在まで、継続してデモを続けてこられましたね。


私たちの家族の物語は、常に日本とアメリカ、韓国を行き来する移住の物語でした。そのため、戦争、移住、帝国主義は、私たちの家族にとって常に個人的で重要なテーマでした。家族は書類を取得するため、または強制送還を避けるために米軍に入隊しました。このような家族を見て育った私は、政府への忠誠心というものを当然疑うようになりました。


日本であろうと韓国であろうと、あるいはアメリカであろうと、すべての政府は、私たち民衆とハルモニたちが当然受け取るべき謝罪と正義を、いまだに与えていません。しかし真理は、政府は誕生し、また崩壊するということですね。それはしばしばハルモニたちの生涯の中でも起こります。


パレスチナのおばあさんたちがイスラエル国家よりも長く生きてきたように、

私たちの韓国のハルモニたちも大韓民国国家よりも長く生きてきました。

したがって、私たちの尊厳と忠誠心は国家ではなく、まさに私たちのハルモニたちの中にあります。

ハルモニたちの要求こそが真の民衆の要求です。


ハルモニたちの尊厳を尊重しない権威主義的で中央集権的な国家であれば、子どもたちや土地、民衆の尊厳も尊重しないでしょう。高い自殺率や、米軍基地周辺で強制移住させられる女性たちの姿がそれを物語っています。ハルモニたちの要求を聞かない国家は、他の国の資源を奪うための侵略もためらいません。まさに韓国政府のようにです。


ジェンダーに基づく国家の暴力は、私たちに絶えず語りかけます。尊厳を低くしろ、与えられた立場を受け入れろと。

アメリカで育った私は、男性が全員軍隊に行かなければならない文化の中で育ちませんでした。そのため、韓国で軍事主義が性別によって正当化されるのを見るたびに、依然として既視感を覚えます。


一方、ハルモニたちが率いるこのような運動は、韓国人、特に男性が、自分に与えられた尊厳を思い出させる未来を想像させます。男性の身体が、イスラエルのガザ集団虐殺に武器を提供する軍隊に入隊することが、決して正常化されてはなりません。

義務兵役は、明らかに性別に基づく国家暴力です。それは、非男性の身体を男性のいわゆる「保護」に委ねさせ、その「保護」は実質的に誰も保護しないからです。軍隊は民衆を保護しません。国境だけを保護します。


幸い、私はハルモニたちのおかげで保護されていると感じています。ハルモニたちの存在は、今でも私に真の自己保護と尊厳を守る方法を教えてくれます。ハルモニたちが、ジェンダーによる国家暴力の正常化を目指すこの世の中で、一生を屈服することなく戦い続けてくださったことに、改めて深く感謝申し上げます。闘争。



 

本日、皆様と共に過ごせるて光栄です。

私はアラシ・アジザダと申します。私はアフガニスタン系アメリカ人で、誇り高いフェミニストであり、ニューヨークでコミュニティ組織家として活動しています。私は「より良い明日のためのアフガニスタン人(Afghans for a Better Tomorrow)」という組織を率い、数十年にわたる失敗したアメリカの外交政策への対応として、アフガニスタン人に恥辱をもたらしたその政策に抵抗する運動を展開しています。

私は冷戦の産物です。その戦争は、アメリカがアフガニスタンの言語であるパルシ語で書かれた数百万冊の教科書を制作し、アフガニスタンの子供たちに弾丸で計算を教え、『J』が『ジハード(Jihad)』を意味すると教えた戦争の一環でした。

私たちはアフガニスタン人として、そして韓国人として、数多くの帝国主義大国に抵抗してきました。私が立っている今ここ、私は日本とアメリカの外交政策と軍国主義がもたらした深い傷を感じ、その痛みを共に悼んでいます。

アフガニスタンでは、20年間の戦争がアフガニスタンの女性と少女の権利を奪う結果をもたらしました。6年生以上の少女は教育を受けることができません。韓国人同様、私たちは女性と少女がアメリカの戦争と軍事主義政策が生み出した苦痛の中心にいることを知っています。

同様に、私たちは無差別な物質的な支援がどのようにパレスチナの子供たちを孤児にし、若い少女たちを烈士にさせるかを目撃しています。

過去数週間、私はアメリカから来た活動家たちとDMZのパジュ民間人出入制限区域(CCZ)、東豆川から平沢、済州島の江汀を訪問し、平和と解放のために闘う勇気があり、多くのインスピレーションを与える韓国人に出会いました。その中にはパレスチナのための闘いを続ける人々もいました。

ソウルで過ごす間、私はアメリカ国内で起こっている蛮行——地域社会の一員を逮捕し追放しようとするファシストの暴徒たちの蛮行——に反対する自発的な抵抗運動を見守るため、携帯電話を手放すことができませんでした。

そして私は今、アメリカ、つまりその「野獣の腹」に戻りますが、韓国各地で得た抵抗の精神と回復力、そして帝国主義と闘った勇気を共に持ち帰ります。


詩人モハメドが「自分の精神の中心軸」と呼んだ祖母のリフカは、2020年6月16日にエルサレムで103歳で生涯を閉じられました。リフカ ハルモニは「イスラエルよりも古い抵抗と愛」の象徴として、連帯者によって永遠に記憶されています。


5月7日に中国湖南省で逝去されたシャオルイ ハルモニをはじめ、日本軍性奴隷制の被害者であるおばあさんたちの安らかな眠りを祈り、彼らの闘いを記憶し、韓国のリフカ ハルモニたちに、本日朗読する詩集『リフカ』のエピローグ「パレスチナのジャスミンよ、さようなら」から、いくつかの句を捧げます。


正直、私はまだ祖母を偲ぶ準備ができていない。

ある人々は過去形では存在できない。

百年もの間、彼女は自尊心と自尊感の間の綱渡りを歩いた。


祖母は私に尊厳のすべてを教えてくれた。

文章をミサイルのように放つ方法を、耐え忍び、また耐え抜く方法を。

強制移住と罰金、数十件の裁判、収監の脅威にも彼女は決して屈服しなかった。


ある人は決して死なない。

私はエルサレムオールドシティの石壁のひび割れの一つ一つに刻まれた彼女のしわだらけの顔をみる。私が踏み出す一歩一歩の下に絡み合う彼女の根を知っている。


彼女は一生、正義を求め続けた。しかし、その「進歩」は、祖母の生涯に収まるには遠く、遅すぎた。数十年の忍耐が結ぶべき実りを、私たちはまだ見ていない。


祖母が解放されたパレスチナを見ることなくこの世を去ったことが胸を痛める。しかし、私は祖母に約束する。孫たちは何も忘れていないことを。この闘いは勝利するまで止まらない革命であることを。


本日の朗読は、パレスチナの若手詩人モハメド・エルクルドがガザの子供たちの死について書いた詩『封鎖された土地にモーゼはいない』です。この詩は、2014年7月16日、ガザの海岸でサッカーをしていた9歳から14歳までの少年4人がイスラエル海軍の砲撃で殺害された事件を想起して書かれたものです。昨日、救援物資を積んだマドレーヌ号が結局到着できなかったそのガザの海岸では、11年前の夏にも子どもたちが殺害されていました。

詩人モハメドは1998年生まれで、その事件が起きた2014年には16歳でした。友人の死を知り、成人になって書いたこの詩を、私は個人的に特に胸が痛む思いで読みました。私も2002年に米軍の装甲車に圧死された中学生のミスンとヒョスンと同じ年代でした。韓国でもパレスチナでも、友人たちと遊んでいた十代の青少年が帝国主義と軍事主義の暴力の中で同年代の友人を失って生きてきた点に深く共感し、怒りを抱きながらこの詩を準備しました。朗読を始めます。

封鎖された土地にモーゼはいない

モハメド・エルクルドの詩集『リフカ』より、原題:『No Moses in Siege』

ガザにはもはや埋める墓すらなくて

私たちを海岸まで連れて行って殺したのですか?

私たちの家の中で、

私たちのいとこたちのように、未来のように、神々のように

私たちを破壊することはあまりにもつまらないことだったのでしょうか?


墓地が埋められる墓地が必要で、

墓標さえ留まる家が必要だったからですか?


私たちの父たちに、より大きな悲しみが必要だったのですか?

私たちは風に散らばった手足でしたし。

私たちの喜びは海岸に砕け散りました。

足先で蹴っていたサッカーボール、

彼らの足先で踏みつぶされたのは私たちでした。

逃げる場所はありませんでした。

封鎖されたこの土地には

海を割るモーゼもいません。

波は縫い合わされ、刺繍され、絡み合っています。

歩くことも、分けることもできない、信じがたい通路。

ほとんどの日、私たちは先に涙を流します。


私たちは雲を見上げ、雲の上に立ちました。

ここでは二つの太陽を知っています

地球の友である日光と白リン弾の光。

そして二つのことだけを知っています。

死と、その前の数回の呼吸。


紅海が割れない子供たちに

あなたはどんな言葉をかけられますか?


こんにちは。

私は韓国キリスト教教会協議会(NCCK)女性委員会委員長、キム・ウンジョン牧師です。NCCK女性委員会は、韓国のプロテスタント教会内のさまざまな教派と機関を代表するキリスト教女性たちが集まり、教会内外で性平等と正義を実現するために連帯し行動する組織です。

当女性委員会は、1981年にNCCKの常任委員会として組織されて以来、正義記憶連帯の前身である「挺身隊問題対策協議会(挺隊協)」の初期活動から、日本軍「慰安婦」問題の解決運動に共に取り組んできました。

この運動は、単なる過去の悲劇を記憶することに留まりません。私たちは、植民地支配の遺産が、現在も国家が経済成長や戦争の名目で国民を動員し、女性の身体を道具化する現実と深く結びついていることを認識しています。

1970年代、朴正熙政権が外貨獲得を名目として「芸者観光」を国家政策として推進した事実をご存知ですか?女性を「産業の主力」と称して売春を助長していたその二重の姿勢の中で、私たちの先輩は、日本軍によって動員された女性たちの苦痛を想起せざるを得ませんでした。

尹貞玉、李效再、李愚貞先生——日本軍性奴隷制問題を社会的な課題として初めて提起し広めたこれらの女性は、すべてキリスト教女性でした。彼女たちは自ら生き残った者として、連行された女性たちへの負いの意識を抱き、正義の実現のための使命を果たされました。

1984年から、彼女たちは韓国政府が被害者問題を韓日外交で適切に扱うよう促し、その後、多くのキリスト教の女性たちが共に声を上げてきました。

本日この場に共に参加してくださった日本キリスト教教会協議会(NCCJ)の代表の皆様、

皆様の存在と連帯は、私たちがこの闘いを諦めないように支えてくれました。日本国内で証拠と証言を発掘し、サバイバーの日本証言巡回に同行し、2000年の東京女性国際法廷に共に参加してくださった皆様の足跡は、この正義の旅路において欠かすことのできない貴重な連帯でした。

特に私は、2020年に沖縄で開催された韓-在日-日女性神学フォーラムで、沖縄の女性たちが作成した日本軍慰安所の地図を初めて目にした時、深い衝撃を受けました。沖縄の島だけで146カ所の慰安所を明らかにしたその作業は、記憶と正義のためのもう一つの行動でした。

水曜デモは、まさにそのような正義を訴える行動であり、予言です。

1992年1月8日、聖書に記されたエリコの壁の物語に倣い、日本大使館の周囲を1周する形で始まったこのデモは、現在までに1800回を超えています。世界最長の単一テーマのデモでもあります。

水曜デモは、単に謝罪と賠償を要求するものではありません。

私たちは、日本政府が公式に責任を認めない限り、この歴史が繰り返される危険があるという警告の声を上げているのです。

戦争と軍国主義、女性と子どもへの暴力は、今日でも依然として世界中を覆っています。

このデモは、東北アジアの平和を守る信仰的な実践です。

私たちは、日本政府が平和憲法を守り、軍国主義の歴史を繰り返さないよう記憶を保存し、これを正確に歴史教科書に記録することを求めます。

NCCK女性委員会は、今後もこの道を諦めません。

私たちの周囲を徘徊する軍国主義の亡霊を打ち払い、女性と子どもが完全な存在として尊厳を持って生きられるよう、命の網を編み続ける道に最後まで共に歩んでいきます。

正義と平和、記憶と連帯の力で、私たちは共に歩んでいきます。ありがとうございました。


私たちは韓日NCC協議会に参加しているメンバーです。

日本側の参加者として、連帯の意を込めて発言させていただきます。

ここに集まった皆様の平和のための行動に大きな力を得て、心から敬意を表します。

私は日本の北海道から来ました。毎月第4水曜日に札幌でも皆様と連帯する水曜デモが開催されており、日本各地でも同様の集会が開かれています。

私は以前、平和人権運動家として活動されていた故キム・ボクドン ハルモニ、故キル・ウォンオクハルモニの言葉を思い出します。

「再び戦争を起こしてはならない」という言葉が記憶に残っています。「戦争が起きれば、私たちのような被害者が生まれる。性暴力は許せない!」

これは、アジア太平洋地域で旧日本軍の侵略により性奴隷被害を受けたすべての方々の共通の思いだと考えます。

私の母は現在97歳で、キムハルモニ、キルハルモニと同じ年齢です。もし私の母が韓国で生まれ育っていたなら、ハルモニたちと同じ被害を受けたかもしれません。

2017年2月、私の母はソウルでハルモニたちに出会い、「申し訳ありません!」と謝罪しました。するとキム・ボクドンハルモニは優しく「あなたが悪いのではない。日本が悪いんだ」と日本語で母に言いました。二人はしばらく手を握り合い、抱き合った姿は今でも忘れることができません。

日本政府は、おばあさんたち、そしておばあさんたちと共に平和を願うすべての人々と逆行する動きを示しています。戦争加害の記録と記憶を消し去ろうとし、真摯な反省がありません。軍事費を増やし、日本各地で軍備増強を進め、戦争の道を歩んでいます。そして、いまだに性奴隷被害者に対する真摯な謝罪と補償が実現されていません。本当に申し訳なく思っています。

キム・ボクドンハルモニ、キル・ウォンオクハルモニは、今やこの世にいません。

しかし、そのおばあさんたちの平和のための祈り、意志、実践を私たちが引き継ぐ時、おばあさんたちは私たちの間に生き続けているのです。

私たちの今、今ここからが問題です。神様が与えてくださった尊厳を守るため、正義と平和の実現を祈りながら、皆様と共に歩んでい

きたいと願っています。